ケーカク的しつけ

フェレットのしつけの日記を書くケーカク

語りかけてくる日記

 いつもいつも、不安がない。これは〜だ。みたいな文章書いていて、何様かと、論文かと思ったので今日は語りかけるような口調で日記を書いていきたいと思います。

 とはいえ今日はほとんど何もないと言っていい1日でした。人生にはこういう日が必要なのかもしれませんね。ひとやすみ、とよく言いますが何もない1日なのでやすみですらありません。それなりに動きました。ただ、印象として何もない1日だったんです。

 16:00に起床しました。この時点で何かが破綻していますね。SFとかに出てくる急成長させられた赤児みたいな気分でした。彼らは気づいたときに人生が半分終わってるんだけど、俺は起きたとき1日が半分終わっています。

『永久も半ばを過ぎて』というタイトルがありましたが、素敵ですね。ロマンチックで。永遠の半分ってどのくらいなんだろう。1日の半分は12時間です。

  それから指導案を完成させて、食事をして、本を返しに行き、、、、そのくらいのことは思い出せます。

 ただ、どんな感情だったか、何を考えたか、そうした記憶が、一切、ないんです。

 手続き記憶は覚えていますが、エピソード記憶がないんです。一つだけあります。自転車乗り入れ禁止の区間に一瞬だけ立ち入ってしまいました。記憶力がショボければ罪もショボい。善良な人間です。

 複雑なことを考えない1日もあるということ。短い人生なのに無為な時間があっていいのか、とか、何も成し遂げないなんて生きている感じがしないじゃないか、と仰るひともいるかもしれません。(実際にそういうひとはあんまりいないのですが、心の声はよくこういうことを言ってきます。)でもいいんです。良く生きようと悪く生きようとその瞬間の自分にはそうするしかないのですから。

 いいこと風なことは言えますね。知性とは複雑なものを複雑なままに理解できる能力のことを言う、とどこかで見ました。

 いいこと風なメッセージには必ずどこかで強引な単純化があるので、自分がそれをしていないか、納得した文章にそういう単純化がないか、ある場合はどう工夫して発信したり受信したりするか、気をつけて生きています。

 むずかしいね。でも大丈夫たのしいから。おやすみ。熱中症に気をつけてね。