ケーカク的しつけ

フェレットのしつけの日記を書くケーカク

自閉の日記

 今日も十六時に起きた。最近は十時間以上の睡眠はデフォルトになっているみたいだ。

 だから今日はなにもしてない。思い出せないが、歌を歌っていた。

 妙な夢をみた。行ったことのない京都のホテルに夜泊まって、それから行ったことのない路地裏にある寂れた旅館のマッサージを受けに出かける夢だった。

 古本屋のように棚がいくつも並べられているフロントの、棚の間にカウンターが見えた。

 カウンターの向こうには30代くらいの若い男が一人座っていて、彼の後ろには宿泊料金表が貼ってある。一番高いコースで朝晩のご飯がついて9,800円。素泊まり2300円。マッサージはなぜだか二十分刻みで値段が上がっていく方式らしい。ツイッターでここが良いって聞いてきたんだけど、本当に大丈夫だろうか、と思っていた。夢のなかで。

 あまり良いマッサージ屋さんじゃないところはなぜ二十分単位で値段が上がっていくのだろうか。二十分で完結するものが、日々無限に広がる時間のなかで蓄積された疲れを取れるんだろうか。

 千葉雅也が、一、二年なんにも書かない期間が欲しいと言っていた。実際そうなったら彼はたぶん書くんじゃないかと思うけど(知らないけど)、疲れてるんだなあと思った。

 疲れると長い時間の休みが欲しくなる。実際に長い休みが訪れると、意外なことに退屈しないで過ごせてしまう。時間を使うのが上手くなったというか、違和感なく過ごすのが上手くなったのかもしれない。自粛期間は一切苦じゃなかった。

 休む必要がある。ときどき、進捗を無視して時を浪費する必要があると千葉雅也は言うけど、その通りだと思う。理想的に効率的に毎日同じように、なんてできない。しかし休むのに罪悪感のようなものを感じる心を止めたい。心のノーモーションの動きだが、この瞬間に未来や過去を想起しているんだろう。それで苦しくなるんだろう。自閉、自閉と唱えてみた。自分を閉ざす、負のオーラを発する、そういう時間も必要だ。